古代中国の歴史を描いた人気作品「キングダム」を見始めたばかりの人の中にはこんなことを思った人はいませんか?
- 秦の敵が多すぎ
- 戦国七雄って何
- 秦や他の国ってどんなところなのか
そこでこの記事では、キングダムでも登場する戦国七雄と呼ばれた大国について、その国gどうやって滅んで行ったんかも含め解説していきます。
キングダムのネタバレを含みますのでご注意ください。
春秋戦国時代の始まり
まずは、戦国七雄が生まれるきっかけともなった春秋戦国時代の始まりからお話しましょう。
古代中国では、統一王朝というものはなく影響力の強い王朝が周辺諸侯を従えていました。
夏王朝にはじまり殷王朝や周王朝が子rにあたるのですが、この周王朝が、弱体化してくると取って代わろうとする勢力がでるという訳ではなく、独立勢力がいくつも生まれていき、周王朝(東周)を残したままに群雄割拠の時代に突入していきます。
戦国七雄の起こり
周王朝が弱体化して始まった春秋戦国時代ですが、この時はまだ戦国七雄と呼ばれる勢力はいませんでした。
この時力を持っていたのは、晋や斉といった大国でした。この国々は春秋の五覇と呼ばれましたが、内部分裂などで弱体化。
その後、晋が分裂して趙・魏・韓の三カ国なって、この3カ国が東周に承認されたことで下剋上の風潮が生まれこの頃に春秋時代から戦国時代となっていき、七雄が生まれていくことになります。
戦国七雄一覧
お待たせしました。
ここからは、戦国七雄の各国についてみていきます。
- 秦
- 趙
- 韓
- 魏
- 楚
- 燕
- 斉
秦
基本情報
- 位置:中国西部(現在の陕西省一帯)
- 首都:咸陽(かんよう)※紀元前350年に遷都
- 存続期間:紀元前900年頃~紀元前206年
- 特徴:軍事・実力主義の超大国
歴史と特徴
秦は戦国七雄の中でも最も西に位置し、最終的に中国統一を成し遂げた国家です。元々は周辺の異民族との戦いに明け暮れる辺境の国でしたが、その環境が逆に強大な軍事力を育む土壌となりました。
秦の躍進の転機となったのは、商鞅(しょうおう)の変法と呼ばれる大改革でした。商鞅は魏出身の法家思想家で、秦の孝公に招かれて以下のような徹底的な改革を実施しました:
- 郡県制の導入による中央集権化
- 什伍制(軍功に応じた身分制度)
- 重農抑商政策
- 度量衡の統一
これらの改革により、秦は他国を圧倒する国力を獲得し、戦国時代後期には「虎狼の国」として恐れられるようになりました。
軍事力 秦軍の特徴は圧倒的な組織力と規律でした。兵馬俑からも分かるように、秦の軍隊は厳格な統率の下で運用され、総兵力は約100万人に達したと推定されています。
趙
基本情報
- 位置:中国北部(現在の山西省北部・河北省南部)
- 首都:邯鄲(かんたん)
- 存続期間:紀元前403年~紀元前228年
- 特徴:騎兵戦術を導入した北方の強国
歴史と特徴
趙は晋の三分割により誕生した国の一つで、「胡服騎射」(こふくきしゃ)の改革で知られています。武霊王の時代に、従来の中国式戦車戦術を捨て、北方遊牧民の騎馬戦術と服装を導入しました。この革新により、趙は戦国後期の有力国へと躍進しました。
趙は地理的に秦との国境に近く、両国間では激しい戦いが繰り広げられました。特に紀元前260年の長平の戦いでは、趙軍約45万人が秦軍に敗北し、捕虜40万人が生き埋めにされるという大惨事が発生しました。この敗戦により趙の国力は大幅に削がれることとなりました。
軍事力 趙軍の総兵力は約50万人で、特に騎兵部隊の精強さは戦国最強とされていました。
韓
基本情報
- 位置:中国中部(現在の河南省南部)
- 首都:新鄭(しんてい)
- 存続期間:紀元前403年~紀元前230年
- 特徴:七雄中最小で最も困難な立地条件
歴史と特徴
韓は晋の三分割により誕生した3国の中で最も小さく弱い国でした。領土が狭く、山地が多いため農業生産力に限界があり、常に他国からの圧迫を受けていました。
しかし韓にも特筆すべき点がありました。韓非子という法家思想の集大成者を輩出し、また武器製造技術では他国を凌駕していました。特に韓製の剣や弩(ど)は品質が高く、各国から求められていました。
韓の悲劇は、その地理的位置にありました。強国である魏と秦に挟まれ、常に両国の圧力にさらされていたため、独自の発展を遂げることが困難でした。最終的に韓は紀元前230年、戦国七雄の中で最初に秦に滅ぼされることとなりました。
魏
基本情報
- 位置:中国中央部(現在の河南省一帯)
- 首都:安邑(あんゆう)→大梁(たいりょう)
- 存続期間:紀元前403年~紀元前225年
- 特徴:戦国前半の軍事先進国、経済先進国
歴史と特徴
魏も晋の三分割により誕生した国の一つで、戦国初期には最強国として君臨していました。**李悝(りかい)や呉起(ごき)**といった優秀な人材を登用し、法治国家の基盤を築きました。
魏の最大の功績は「魏武卒」と呼ばれるエリート部隊の創設です。厳格な選抜試験を通過した精鋭兵で構成されたこの部隊は、一時期無敗を誇りました。また、魏は中原の要地に位置していたため、商業も発達し、経済的にも繁栄していました。
しかし、四方を他国に囲まれた地理的条件により、常に複数の敵と戦わなければならず、戦国中期以降は次第に劣勢に追い込まれていきました。
経済力 魏は農業と商業の両面で発達し、特に中原交易の中継地として繁栄しました。
楚
基本情報
- 位置:中国南部(現在の湖北省・湖南省一帯)
- 首都:郢(えい)
- 存続期間:紀元前1100年頃~紀元前223年
- 特徴:領土・人口で最大規模を誇る南方の超大国
歴史と特徴
楚は戦国七雄の中で最も広大な領土を持つ国家でした。長江流域を中心とした豊かな土地と豊富な人口を背景に、秦と並ぶ軍事大国として君臨していました。
楚の文化的特徴は、中原の華夏文化とは異なる独自性を持っていたことです。楚辞で知られる文学や、独特の青銅器文化など、南方特有の文化を発達させていました。また、楚の君主は春秋時代から「王」を称しており、周王室の権威を認めない独立性の強い国家でもありました。
軍事力 楚軍の総兵力も秦と同様に約100万人規模と推定されています。楚は水軍にも長けており、長江を利用した水上戦術でも他国を圧倒していました。
燕
基本情報
- 位置:中国北東部(現在の河北省・北京一帯)
- 首都:薊(けい、現在の北京)
- 存続期間:紀元前1100年頃~紀元前222年
- 特徴:北方の異民族との境界に位置する軍事国家
歴史と特徴
燕は戦国七雄の中で最も北に位置し、匈奴をはじめとする北方遊牧民族との最前線に立つ国家でした。この地理的条件により、燕は常に軍事的緊張状態にあり、防衛に特化した国家体制を築いていました。
燕の最大の功績は、紀元前284年に楽毅将軍が率いた連合軍による斉への大攻勢です。この戦いで燕は一時的に斉をほぼ完全に占領し、戦国七雄の勢力図を大きく変えました。
軍事力 燕軍の総兵力は約30万人と推定され、騎兵と歩兵を組み合わせた戦術に長けていました。特に北方民族との戦いで培った騎兵戦術は他国から注目されました。
斉
基本情報
- 位置:中国東部(現在の山東省一帯)
- 首都:臨淄(りんし)
- 存続期間:紀元前386年~紀元前221年(田斉として)
- 特徴:経済・文化の先進国
歴史と特徴
斉は春秋時代の斉国が田氏によって簒奪された後の国家(田斉)です。海に面した立地を活かし、塩や鉄の生産、海上貿易で莫大な富を蓄積しました。
斉の首都臨淄は当時世界最大級の都市の一つで、人口は20万人を超えていたとされます。稷下の学(しょくかのがく)と呼ばれる学術機関を設置し、諸子百家の学者たちを招いて学問を奨励したことでも知られています。
経済力 斉は「富国」の典型として知られ、商業と手工業が高度に発達していました。特に製塩業と製鉄業は国家の基幹産業となり、これらの産業から得られる利益で強大な軍事力を維持していました。
おわりに
信(秦)や李牧(趙)、掛(趙)、媧燐(楚)など魅力的なキャラクターが登場するキングダム。
中華戦国時代を舞台にした今作は、戦国七雄の戦いを描いています。
兵力ランキング(推定)
- 秦・楚:約100万人
- 趙:約50万人
- 魏・斉:約40万人
- 燕:約30万人
- 韓:約20万人
国力差から見ても、史実で身てえも秦が最終的な王者となり敗退する順番も気会っていますが、どのようにな戦いを繰り広げるのかは分かっていなかったりします。
今後も完結まで目が離せません。
このサイトでは、キングダムだけでなく他の歴史アニメや大河ドラマでの歴史解説をしていきますので他の記事も読んでいってください。

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